だだだだだだだだ
以前知り合ったウリ坊さんに「ウチの息子(中学生)と音楽の趣味が全く一緒ですね♪」と言われた。
なんでも、BUMP・RAD・高橋優がTOP3で、BUMPが一番らしい。
全く一緒や。
俺は中坊レベルか?
いや、ピュアなだけだ!と、信じたい。。。
高橋優の新曲も素晴らしい。
最近ツイッターって物を始めた。
みなさんしてますか?ツイッターって。
そこで為末大さんのフォローしたら、哲学的で超面白い。
「価値があるから存在する意味がある。だから人は自分に価値がなければならないと焦る。そして所謂価値は他人の総意で決まる。価値があり存在する意味がある自分になる為に、人は他人の総意に従って生きるようになる。」
「自分の存在を肯定する為に自分が価値ある存在だという確かな根拠が欲しい。だから人は他人の評価を求める。価値づける為の行為を夢を追う行為だと思っているとやってもやっても満たされない事に気づく。夢中は価値云々を捨てた所にある。
」
「他人の評価によって勝敗が決まる事は多いのだけれど、勝ちきる人は他人の評価を無視して突き進む事もできる人。手放すと手に入るという矛盾」
てな事を書いてあって、自分はこんなことを思った。
価値=他人の総意としても、すべての期待や願いに答えることとは違うだろう。
極端な例だが、たとえば、俺がもらった給料。
欲しい人?って聞けば、皆手を上げる。
そんな人に万券一枚づつ配っていけば、それは必要とされているのかもしれないが、価値ではない。
都合のいい人と、価値のある人は違う。
もちろん、都合のいい人もまた一つの価値ではあろうけども、そこを目指していいものだろうか?
今、自分が持ちえる技術であり知恵であり力といったものを正しくかつ正確に必要とされている人に届けることが出来れば、それは自分の真の価値といえるのではないだろうか。
しかしそれはとても難しいこと。
まず、自分の価値の真価を正確に把握し、それを必要としている人を見つけなければならないが、そんなことは殆どの人が出来るはずも無いので、「都合のいい人」という価値を手に入れる。
では、人として成長し価値を高めるために、その価値を放棄することは人としてどうなのだろうか?
「あなたが必要」だと言う人に対して、「いや、私を真に必要としている人はあなたではない」と言うことが成長?
となれば、今手にしている価値をにぎりしめて、さらに自分の価値を高める努力をしなければならない。
・・・人生は短いな( ̄Д ̄;;
思ってる事を実際に文にすることは、果てしなく難しい。
これも勉強。
てか、このクソ暑い中、こんなん考えている時間に価値はあるのか?
じゃ、ホールド創るかo(^-^)o
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